神の熱心
(ルカ14:15-24) 2000年11月5日(日)
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序論
神の国と聞くと私達はどんな所だと想像するでしょうか。おいしい食べ物が準備されていたり、欲しいブランドがもらえたり、充分に睡眠がとれたりと、毎日が幸せで楽しいところだと想像するでしょう。イエスさまは「神の国とは備えられた盛大な宴会のような所」と言われました。ローマ14:17では、「神の国は飲み食いのことではなく、神様から義と平和と喜びが与えられる」とあります。神の国には二つの側面があります。一つは現代的な神の国です。今日、誰でも心を開いてイエス・キリストを受け入れるなら、私の心で主となり、全てのことを治めて下さり、私の内側から、神様が与える真の義、平和、喜びを経験することができるのです。地上の神の国は、まだ完全なものではありません。イエスさまの再臨為さる時に成し遂げられる未来的な神の国を、将来私達は経験するのです。神の国をお建てになったのは、人間ではなく、天と地を造られた万軍の主、神様です。神様は全てのことを用意して私達を招いて下さいます。
1.神の招きを断る人々
神様が、私達に全てのことを用意し招いて下さいます。神様からの招きを、私達は素直に賜っているのでしょうか。ルカ14:18に「ところが、みな同じように断わり始めた。」とあります。私たちも多くの言い訳の上に、神さまからの招きを断っているのではないでしょうか。聖書全てを知らなくても、自分の惨めさを認め、イエス・キリストが自分の罪のために死んで下さったと言うことを信じれば確かに救わるのです。神さまの招きには、私たちの求めている真の正義、真の喜び、真の愛があります。イエスさまは言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」その人々のためにイエスさまは来たと言います。ですから「私は罪だらけの人間だから教会には行かれない。」という言い訳はやめて素直にイエスさまを受け入れましょう。言い訳をしていた人の中で盛大な宴会を味わうことの出来た人は一人もいませんでした。
2.特別な恵みを預かる人々
21節に「急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人や、不具の人や、盲人や、足なえをここに連れて来なさい。」とありますが、彼らは突然の招きで何も用意出来ていません。しかし本当に神さまの招きが突然だったとすると、私たちが応じるのは全く簡単です。神の招きには何も準備する必要がないのです。主人のしもべたちに招かれた彼らは、多くの言い訳が出来ますが、何一つ言わず断りませんでした。彼らの心は既にへりくだっていたのです。身分がどうであれ謙遜でない人には、目に見えず手でつかめない神の招きを受け入れるのは難しいのです。ヤコブ4:6には「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」とあります。詩篇147:6にも、「主は心の貧しい者をささえ、悪者を地面に引き降ろす。」と書かれてあります。心の貧しい者とは、求める心、謙遜な心を言います。主を求める者には、恵みが与えられます。23節では「無理にでも人々を連れて来なさい。」と主人は、何度も熱心に招こうとします。神さまもこれほど私たちを熱心に神の御国に招こうとして下さいます。
3.神の熱心に従うしもべたち
神さまは熱心に、何回も招いてこいと命じています。その主人の命令を、純粋に従うしもべたちがいます。何一つ言わずに、自分勝手にもせずに従うしもべの行動は、私たちクリスチャンも見習うべき行動です。使徒10章にあるように、私たちクリスチャンは、偏見を持たず人々に神の招きを伝えるべきです。一人一人が神の招きを味わうだけではなく、多くの人々に神の招きを伝えるべきです。
結論
ヨハネ17章でイエスさまは神さまに、「神がわたしを世に送られたように、わたしも十二弟子をこの世に送ります」(ヨハネ17:18)と祈りました。私たちも神さまの弟子です。ですから多くの人を、神の国に招き、福音を伝えるべきです。ローマ10:14では「宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」とあります。一人一人が今ここに集っているには、神の招きによって誰かにイエスさまを紹介されたからでしょう。私たちは、この恵みを熱心に伝えていきましょう。
(文章化:浦田望)
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