災難と感謝
(ダニエル6:1-10) 2000年11月12日(日)
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序論
昨年、アメリカで発行している「ガイド・ポスト」という雑誌の中に「A Brother’s Gift 兄弟の贈り物」というカリフォルニアに住む女性が書いた記事がありました。この女性には前夫との間にジェイソンという20歳の息子と再婚後に生まれた二人の娘がいました。次女の4歳のチリコが急性肝炎に陥り12時間以内に肝移植しないと助からない、という状態になったときがありましたそこで母親であるこの女性がチリコに自分の肝臓を提供しようとしましたが、不適合と判定。そのときジェイソンが自分の肝臓を提供すると言ってきました。ジェイソンの肝臓は適合と判定されました。移植手術の間、女性は廊下で必死に祈りました。初めは二人の命に危険を感じ、不安や恐れなどが心を襲っていましたが、祈りの時間が流れていくうちに「ジェイソンにとってチリコは肉の妹ではないのに、彼は自ら肝臓を提供しようとした決意したことはとても素晴らしいことではないか。」と感謝の祈りに変えられていきました。こうして、二人の手術は無事に成功し、順調に快復されていきました。女性は神さまに心から感謝しました。
「think 考える」と「thank 感謝する」の元々の語源は同じだそうです。問題が起きたとき、そこで何を考えるか、どの方向から見て考えるかが問われます。そのとき心配と感謝は同時にきますが、どんな環境においても、へりくだり、信仰を持ち、愛を持ってみれば、どんなことでも感謝できるのです。
1.成功者ダニエル
ダニエルは立派で賢い信仰者でした。バビロンがイスラエルを攻めてきたときに、ネブカデネザル王が若者5万人を捕虜として連れて行きました。ダニエルもその中の一人でした。周りの若者たちは捕虜として苦しい取り扱いを受けていたのに、彼だけは王に信頼されていました。バビロンの崩壊後、ペルシャという国となり、その王にも、また次に代わったダリヨス王にも信頼され続けました。ダリヨス王は非常に広い国であるペルシャを治めるために約120の地域に分け、それぞれに太守をおき、その上に三人の大臣をおきました。そのうちの一人がダニエルでした。こうしてダニエルは、ペルシャの中で立派な立場になりました。人が変わると見る目が代わり、信頼されていた人も信頼されなくなることがありますが、ダニエルの場合はそうではありませんでした。ダニエルが捕虜として非常に差別を受けるべき国で立派な成功者になったというところを私たちは見るべきではないかと思います。
ダニエルが信頼され続けていたのは何故でしょうか。それはまず、神さまの憐れみと恵みがあったからです。神さまの優れた霊が彼のうちに宿っていたのです。もともと彼は敬虔な信仰生活を守っていました。彼はいつも必ず神さまに感謝をする生活をしていたので、それが成功の原動力となったのです。
2.うらやむ人々の陰謀
ダリヨス王はこの三人の中からダニエルを総理大臣のような地位に任命しようとしました。しかし、それを他の二人の大臣と120人の太守たちはひどくうらやみました。そこで彼らはダニエルを攻撃するために、彼の欠点を探り始めました。しかしダニエルの場合、一つも見つかりませんでした。このように、人の成功をうらやましく思う人は、誰もが持つ弱さを探り出し、攻撃したくなるものです。
そこで、彼らは一つの罠を仕掛けることにしました。彼らはダリヨス王に「ダリヨス王。永遠に生きられますように。国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。王よ。今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のようにしてください。」(6−8節)と願い出ました。これは、ダリヨス王を持ち上げて、ダニエルがいつも天の神の前で祈っていることを訴えるための策略でした。信仰を訴えるというのは、サタンの働きです。サタンには信仰を打ち砕くわざがあります。
3.変わらないダニエルの感謝
厳しい環境に虐げられたダニエルですが、それでも彼はいつものように、日に三度ひざまずき、感謝し、神の前で祈ることをやめませんでした(10節)。こうしてダニエルは獅子の穴に投げ込まれてしましました。それでもダニエルは感謝し続けました。なぜならば、ダニエルは自分の人生に満足していたからです。
信仰というものは、ある意味で決断、勇気です。「感謝」は神さまに祈りの心構えがないと出来ません。ダニエルを通して教えられた「感謝」は、私たちが習慣にすべきことでしょう。クリスチャンでない方も、感謝する人間には神さまの豊かな一般恩恵が与えられています。ですから、どんなことでも「ありがとう」と言えるようになり、習慣づけていくことが大切です。習慣になったものが性格となり、性格が人格へとなります。
また「感謝」は満足から現れるものだと思います。不平や不満を言う人は満足できないので神さまに感謝が出来ません。満足のない感謝は条件付きの感謝になります。例えば、飛行機から降りる前のアナウンスは「この度のご乗車を頂き有り難うございます。またのご利用をお待ちしております。」この「またのご利用を」というのが条件付きなのです。真の信仰は今の自分に満足しなければなりません。
獅子の中に投げ込まれたダニエルの感謝は、見返りを期待しない無条件の感謝でありました。これは、猛進でもかまわない、という終末的な感謝でもあります。
結論
自分の人生の視点、また考え方によって、人生が感謝なものになるか、災難なものになるかに分かれていきます。この世のことばかり考えると、「なぜ、あの人は何でも上手くいっているのか、なぜ私は上手くいかないのか」問いことで苛立ち、他のところで悪いことをしてしまいます。どんなことでもいつでも神さまの前でまず考えましょう。そして自分を振り返り、与った恵みに感謝しましょう。当たり前に思っていることはありませんか。どんなに小さなことでも感謝しましょう。
(文章化:中館涼子)
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