リバイバル
(ネヘミヤ8:1-18) 2000年11月26日(日)
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序論
リバイバルという言葉を聞くと、私たちはすぐに、教会堂に人びとが多く集まり、教会がにぎやかになることを想像します。しかしネヘミヤ記は、本当のリバイバルとは何かを崩れた城壁の改築を通して教えています。ネヘミヤ記の前半(1〜6章)は、政治的リーダーであるネヘミヤによる城壁の建て直しについて、後半(7〜13章)は、宗教的リーダーであるエズラによる民の魂の建て直しについて記されています。エズラは、ネヘミヤがエルサレムに帰還する14年前に、重大な決心をもってエルサレムに帰ってきた聖書学者であり、祭司でした。その重大な決心とは、彼自身が悟った神のみことばを徹底的に民に教えることでした。そして同じ頃、ネヘミヤもまた、城壁が完成しても民の魂にリバイバルが起こらない限り本当のリバイバルはない、と悟っていたのです。そこでネヘミヤは、城壁工事の完成に伴い、その城壁の中に住んでいる人々の霊的な必要を満たしてくれるよう、エズラを出迎え、民の前に立たせたのでした。さて、その場面である8章全体から3つのことを学んでいきたいと思います。
1.みことばへの渇望
まず1つめは、みことばに渇いて望むということです。1節に記されている民の姿は「改築工事が終わったから、さあ宴会だ!」というものではなく、聖書を持ってきて、神のことばを説き明かして欲しいと願うものでした。イスラエルの民は、城壁の完成だけでは幸せになれないことを知っていたのです。彼らは、神のみことばが何よりも必要であることを認識し、これを強く求めたのでした。そして夜明けから真昼まで、6時間あまりも続けて朗読された神のことばに、静まって耳を傾けた(2節〜3節)のでした。これこそがリバイバルではありませんか。まことのリバイバルは、神のことばを渇望することからはじまるのです。皆さんが求めているリバイバルの内容は何ですか?「このくらい捧げましたから、私たちを用いてください。祝福してください。」という求めでしょうか。そのような私たちの問題を預言者アモスは「主のことばを聞くことのききんである」(アモス8:11)と語っています。その通りだと思います。私たちの人生の中に主のことばを聞くことのききんはないか、自分の霊性を確かめる必要があるでしょう。まことのリバイバルは、深く眠っている私たちの魂を目覚めさせてくださる神のことばへの渇望なのです。
2.みことばへの畏れ
2つめは、みことばに対して畏れをもつことです。イスラエルの民はエズラが主をほめたたえると、手を上げながら「アーメン、アーメン。」とひざまずき、主を礼拝した(6節)とあります。アーメンは「そのとおりです!」という賛美の表現であり、神のことばに対する畏れ、神の前にへりくだる礼拝の姿勢を表しています。このみことばに対する畏れの姿勢こそ、まさにリバイバルといえるのではないでしょうか。
宗教改革のときの話です。宗教改革者たちが集まって会議をし、ある議題で討論が何時間にも及んだ時、ひとりの人が「聖書の中で、イエス様はこう言っておられます。ですから、私たちはこのようにすべきです。」と言いました。そして、この言葉をもって会議は終了したそうです。彼らは、聖書は神さまの戒めのことばであると信じていたので、自分の考えや意見を神のことばの前に畏れをもって控えたのです。私たちはそれほどまでに、聖書の重み、みことばの重みを感じているでしょうか。みことばに対して、どれほどの畏れをもち、権威を認めているでしょうか。私たちがみことばへの畏れをもって生活することこそ、まことのリバイバルの始まりなのです。
3.みことばへの人格的反応
3つめは、みことばに対して人格的に反応するということです。エズラによる聖書の説き明かしを聞いていたイスラエルの民は、まず、聖書の内容を理解できるようになりました。みことばをいくら読んでも、暗唱しても、それで終わるなら意味がありません。理解することが大切です。しかし同時にそれで終わらず、イスラエルの民は「みな泣いていた(9節)」とも記しています。これは、神のことばに対する感情的な反応です。みことばを聞き、自分たちがそのとおりに従えなかったことを悟り、泣いたのです。だれでも良心にみことばが触れると、自分のみじめさを悟ります。その時涙を流すのです。それは恵みの涙、魂をきよめる涙であり、それにより私たちは癒され、平安を与えられます。さらに14節を見ると、彼らはみことばをよく調べていたことがわかります。そしてその結果、みことばのとおりに仮庵をつくり、1週間祭りをした(15節)のです。彼らはみことばに従い、徹底的にみことばを実践したのでした。
以上のことから、彼らはみことばを理解し、感情的に反応し、みことばの示すとおりに実行したことがわかります。これは全人格的反応です。これこそリバイバルです。私たちがみことばに従うとき、リバイバルの種火を熾す(おこす)ことになるのです。このように、エズラの説教に全人格的に反応したイスラエルの民に、リバイバルは起こったのです。
結論
17節に「それは非常に大きな喜びであった」とあり、また10節**印の別訳には、「主を喜ぶことは、あなたの力である」とあります。主を喜ぶことは私たちの力であり、リバイバルもまた力です。その力はみことばに従うとき、私たちに与えられるのです。私たちが本当にまことのリバイバルを求めるなら、みことばへの渇望、畏れをもって、示されたとおり徹底的にみことばに従う以外ありません。そのとき必ず、リバイバルはみなさんの魂から起こるのです。
(文章化:土門加陽子)
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