女の子孫として来られたイエス
(創世記3:1-24) 2000年12月17日(日)
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序論
創世記3章がクリスマスとどのように関係するか、その背景について説明します。
キリスト教の基本の基本がこの創世記3章です。
聖書は、創世記1章1節で「初めに、神が天と地を創造した。」と神の天地創造を宣言します。聖書は、最初から神がおられることを前提としています。聖書は、神が創造主であることを認めてから読み始めることが必要です。
創世記1章から3章で天地創造の様子と、人間がどのように創造され人間の生きる目的が何なのかすべてが分かります。神と人間の関係も分かります。それは人間が生きる上での基礎であり基本です。
「神はこのように、人をご自身のかたち(霊的存在)に創造されました。」(創世記1:27)また「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとして、これに栄光と誉れの冠をかぶらされました。」(詩篇8:5)「神はまた、彼らを祝福し、…すべての生き物を支配せよ。」(創世記1:28)とあるように、アダムを自然界における神の代理者としておかれました。しかし、このことを知らないと、人は自然を拝むものとなります。
神はエデンの園を設け、園の中央にいのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせました(創世記2:9)。神である主は、アダムをエデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせました。神は、「あなたは、園のどの木からからでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)とアダムに命じて言われました。最初に生えさせたのはいのちの木ですが、このいのちの木についてはあまり語っていません。人間にとって大事なのはいのちではなく、神との関係です。また、生えさせた位置が園の中央ということから、その木の重要さをアダムに知らせることに配慮された神の思いを知ることが出来ます。エデンの園に生かされたアダムとエバは、二人とも裸であったが、互いに恥ずかしいとは思いませんでした。
アダムは創造の目的どおりに生きたでしょうか。
1.神のかたちである人間の堕落(創世記3:1〜8)
蛇=サタンは何故、人を誘惑したのでしょうか、そして何故、女を誘惑したでしょうか。二人は一体でした。エバはアダムの助け手でした。エバをおとせばアダムも落ちます。
どのように誘惑したのでしょうか。それは神の言葉に疑いを持たせることでした。言葉での誘惑。悪魔は自分で知識の木の実を取って食べさせたのではありません。エバは自分で取って食べて目が開かれました。その結果は自分が裸であれことを知ることであり、恥を知ることでした。そしてあのように慕わしかった神の声を聞いて隠れる者に自らをおとしました。隠れることは堕落のしるし。この時から人は自然を支配する力を失いました。
2.神の裁き
「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」」(3:9)と呼びかけます。アダムがどこにいる知らないからではなく、それは悔い改めを求める声でした。神はさらにアダムに問います。「…あなたは、食べてはならないと命じておいた木から食べたのか。」と。アダムもエバも神の問いに直接答えず、また、悔い改めもせず二人して責任転嫁の言葉を語ります。責任転嫁は罪人の特徴です。悔い改めないことへの神の裁きが二人に下ります。エバに対しては出産の苦しみであり、夫に支配され、夫を待つ者とされ、アダムに対しては一生苦しんで食を求める者とされることでした。人はこの時から死ぬものとなりエデンを追放されました。しかし神はこのときでさえ憐れみをかけ、彼らに皮の衣を作り彼らに着せて下さいました。裁きは人間だけでなく自然界全体に及びました。
神が非常に良かったと言われた被造物を裁くというのは矛盾ではないのでしょうか。非常に良かったものを裁かざるを得なくなったのは、サタンの勝利ではないでしょうか。しかし、神は蛇=サタンを先ず裁きます。その裁きの内容は、蛇は一生腹ばいで歩き、ちりを食べなければならないものとされました。地のちりを食べることの意味は、モーセ五書が書かれた時代、戦争に勝利した王は、負けた王にその土地の土をなめさせることをもってその国土を完全に支配し、完全に勝利したことを示すものでした。
神の創造した世界を意味のないものにしようとしたサタンは、神に裁かれた。しかし、この蛇は女の子孫のかかとに噛みつき、苦しみを与えるとあるのはキリストの受難の預言であり、「彼は、おまえの頭を踏み砕き」はみ救いの計画の預言です。古代キリスト教の教父はこの個所をメシヤに対する最初の預言であると言っています。
裁きは神の義の表れです。悪を裁くことは神のご性質のひとつです。
創世記3章は、死という虚無の根源がどこにあるのか、死をもたらす神への罪とその結果を教えると同時に、救い主メシヤの誕生を預言しています。
3.
アダムのゆえに罪あるもの、土にかえるものとなった人。その罪の世を救うためにキリストはお生まれになりました。「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で、傷のない者にしようとされました。」(エペソ4:1)神の御子キリストの受難と復活により最後の敵である死も滅ぼし、「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(Iコリント15:55)「神は、私たちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を与えてくださいました。ですから私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(Iコリント15:57、58)これこそ私たちを救うまことの福音、イエス・キリストの誕生をほめたたえましょう。
(文章化:千葉秀悦)
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