終末の教会
(黙示録22章) 2000年12月31日(日)
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序論
「見よ。悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。」(詩篇73:12)
悪の繁栄を目の前にした信仰者の懐疑は、数千年前の人々にも現代に生きる私たちにも共通のものではないでしょうか。神を信ぜす、肉欲と強欲のみに生き、そればかりか、神を信ずる人々を迫害する者たちがかえって富み栄える。一方では、敬虔な信仰者たちが、苦しみの中でひっそりと息絶えていく。こうした現実に出会い、神の永遠の御旨も、その絶対性すらも見失い掛けてしまった経験をお持ちの方は、多いのではないでしょうか。
このような信仰者の疑念が、まさに沸騰しきっていた、今から二千年前のイスラエルの地。全ての信仰者たちの必死の祈りも届かぬかのように、ますます強大化し繁栄の道をたどる大迫害者、ローマ帝国。
ヨハネの黙示録は、果てしなく思える迫害の中にさらされた当時の信仰者たちに、神が与えられた恵みの啓示(黙示)。すなわち「神は罪悪のこの世を滅ぼし、神の栄光に満ちた新しい世界に変えられる」という、喜びの確約の書でもあったのです。
ヨハネの黙示録、すなわち、主イエス・キリストのこの黙示は、時を越えて、二千年前の教会ばかりではなく、現在の、そして未来をも含めた、この終末の時の内にある全ての教会(すなわち七つの教会)に対して発せられたものと解すべきではないでしょうか。
神と人とが信仰において結ばれる関係の土台とも言うべき「イエスがキリストである」というこの書の主題は、肉なる思いの中にある限り、たとえ大知者といわれる者であっても、決して到達できない真理なのです。
今、この書の終わりに当たりキリストの内にあることによって、この書を読み悟ることの出来る恵みを心より感謝しつつ、サタンの支配するこの世にある、私たちの終末の教会がいかにあるべきか、私たち信徒一人一人がいかに生きるべきかについて聞く時を持ちたいと思います。
1.教会は希望を持つべきである。
黙示録に描かれている戦いは、サタンと神の教会との戦いです。しかし、二章、三章でキリストに叱責され、多くの訓告を受けている七つの教会、すなわち私たちの教会も含めた地上の全ての教会は、いずれも問題だらけ、弱さだらけの頼りない教会ばかりで、とてもあの強大な獣、サタンと戦うことなど出来そうにもありません。例えば私たち日本の教会なども、450年もかかってやっと国民の1%にしか伝道しきれなかった、まさに神さまの期待を裏切り、落胆させた、腑抜けの集団と言えるかもしれません。しかし黙示録の中で戦っている教会は、紛れもなくこの世の教会なのです。日本の教会も共に戦っているのです。
教会の中心には必ずキリストがいて下さいます。過去も現在も、そして父なる神のみ旨に従い、この世の歴史にけじめの付けられる終わりの日の戦いの時も、主は共にあって、ひ弱な私たちを勇者に変えてくださいます。これが教会の希望であり、私たち信徒一人一人の希望でもあります。黙示録の世界の中に、命を捨て、どの教会よりもいっそう勇敢に戦う日本の教会の姿が見えるでしょうか。主は必ず共にいて下さいます。
2.信徒は、共同体の一員であるという認識を持つべきである。
キリストは、御自身のこの黙示を、私たち信徒一人一人にではなく、この世の全ての「教会」に発せられたのです。キリストは私たちキリスト者が、教会という共同体の中に正しく存在するように命じられているのです。二千年前、ローマ帝国を用いて迫害を加えたサタンは、その後も様々な武器を用い、特に近世になっては、さらに巧妙は方法で教会を迫害し続けているのです。資本主義、自由主義、個人主義、さらに世俗の誘惑。サタンは、神がその血を流されてまでお与えになった、キリストの御体である教会を構成する私たち一人一人の共同体意識を破壊しようと迫ってきているのです。弱々しい一人一人の信徒は、それ故キリストの御体である教会に一つになって存在しない限り、強大な獣、サタンの力と戦うことは出来ないのです。
私たちは主の命ずる通り、キリストの御体なる教会に属し、全ての命令に従い、全ての兄弟姉妹を尊び、愛し、謙虚な心を持って正しい交わりをしているでしょうか。
3.終末を祝福と信ずるべきである。
黙示録に示された終わりの日の栄光は、不信仰者にとってはまさに地獄図そのものです。しかし私たち信仰者に見えるのは、美しく飾られた花嫁のような姿で、新しい教会が、天より新しい地に下ってくる姿なのです。私たち人類全ての祖先、アダムの罪により失われたあのエデンの園が、勝利の主イエス・キリストの恵みによって再び与えられる。私たちキリストにある者たちにとって、終わりの日は、再び父なる神さまの栄光の基で暮らすことの出来る喜びの始まりの日なのです。この世の不平等に疑念を抱いた詩人アサフも、詩篇73篇の最終節では声高らかに神を賛美し歌います。「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。」
終末の世に生きる私たちは、共に歩んでくださる勝利の主に感謝しつつ、絶えず霊的な目を凝らして、天上にある教会を見据えて歩むべきです。
結論
「しかり。わたしはすぐに来る。」
たとえ、この世の終わりの日が明日であると分かっても、私たちは喜びの心を持って、昨日と代わらぬ心を持って、すぐに答えたいものです。
アーメン。主イエスよ、来てください。
(文章化:柴田康正)
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