私たちの間に住まわれる神の栄光

(ヨハネ1:1-18)   2001年1月7日(日)
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序論

 21世紀が始まって一週間が過ぎました。何をするにも、初めは大切です。本でも前書きと目次を読めば、大体のことは分かります。新年礼拝で「モリヤの山に神の備えがある」ことを学びました。私たちの備えは本当にあるのか、それを目で確かめたいと思い、ヨハネの福音書から始めることにしました。
 ヨハネの福音書の前書きとも言える1:1-18を理解すると、全体が分かります。そして、求道者にはよく分かる書で、伝道するときに勧めます。それと同時に、信仰の長い人には、深い理解を与えることの出来る書です。ヨハネ20:31には、この福音書の書かれた目的が書いてあります。これは聖書全体の目的でもあります。ヨハネは、「イエスは神の子キリストである」ことを伝え、信じると永遠の生命が与えられると教えています。ある学者は「ヨハネの福音書は、子供たちが入れる浅い川のようなものであり、また、象が入ることが出来るような深く広い海のようなものである。」と言われています。

1.「ことば」とは誰なのか?

 この箇所(1:1-18)のポイントは次のようです。
1-5神のことば=神である。
6-8ことばというもののあかし。
(ことばは神であるという)
9-11ことばは光として来られたが、人間は受け入れていない。
12-13ことばを心に受け入れて信じる者にはどんな報い(祝福)があるのか。
14ことばの到来。このことばを受け入れた人がいた。
15ヨハネのあかし。
16-18ことばと人間との関係。神との関係。

 これをよく見ると、大切なのは12節と13節です。ことばであるイエス・キリストを信じると、どんな祝福があるかを伝えています。1:19から21章は、その具体的な例です。水がブドウ酒に変わったり、ベテスダでいやされた人、盲人がいやされたなど、全て、イエス・キリストと出会った人々が、どんなに祝福されたか書かれています。ことばとは誰なのか。ここでいうことばとは、私たちがしゃべっている単なることばではなく、昔から神と共におられたもう一つの位格のことです。人間の世界では人格といいますが、神の世界では位格といいます。御父・御子・御霊の三つの位格があります。
 ヨハネには、ことば=神であるというところから話しています。つまり結論を先に述べています。そして、1:19から21章は神でなければ出来ないことばかりが書いています。つまり、キリストは神であると言うことを示しています。そして、20:28で初めてトマスがイエスのことを主と告白しています。これは1:1-18の結論、つまりイエスは神であると言うことを、もう一度確認しているのです。

2.肉をもってこられた主

 神が人間の体(肉)をもって人としてこられました。神は完全ですが人間は不完全です。神は聖ですが、人は汚れています。神は永遠ですが、人は限りある存在です。このような神が、人の体の中に住まわれると考えられるでしょうか。完全なものが不完全なものの中に住まわれると理解できますか。これを受肉と言いますが、不思議な神のみわざです。14節の「私たちの間に住まわれた。」の「住まわれた」ということはとても大切なことです。神の栄光が共にあるということです。神としては大変な仕事です。与えられた私たちは恵みとして受けるだけです。創世記に戻ると、アダムが罪を犯したことから、神と共にいられなくなり、死も入ってきました。しか、キリストが肉体をもって私たちの間に住んで下さいました。それを受け入れることが信仰です。このことばは恵みです。日本人はただでもらうことがなかなか出来ません。それが恵まれない理由でもあります。何もない人は恵み(ただでもらえるもの)をありがたく思います。心の貧しい者は幸いであるといわれるのはそのためです。モーセの律法の書にも恵みのことが書かれています。青銅の蛇を見上げた人が救われたように(ヨハネ3:14)、イエスを見ると救われます。ヨハネはイエスを信じると永遠の生命を与えられると結論づけます。

3.人間の反応

 このことに関して反応は二通りあります。イエスを受け入れるか、受け入れないか。つまり信じるか、信じないかです。12節では受け入れた人々、すなわち信じた人々と記されています。受け入れたとは完了を表し一回のみです。受け入れたらその後ずっと住まわれるのです。信じた人々は現在も続いていること、信じてずっと続けていく、一生信じて続けていくことです。受け入れて信じ続けるのです。そしてこの受け入れ信じた人々は、神(聖霊)によって生まれ変わりました(ヨハネ3:5)。信仰は自然によって生まれるものではありませんし、自然に子供に伝わるものでもありません。信仰を持つということは、イエス・キリストを受け入れることであり、神の霊によって新しくされる(生まれる)ということです。御霊によって神の子とされ、神を「アバ父」と呼ぶことが出来ます。

結論

 イエス・キリストが十字架上で価を払われ、栄光が戻ってきました。御霊さまが私たちのうちで働かれ、「イエスが神である」と証しします。「イエスさまを受け入れたのなら、信じたのなら、バプテスマのヨハネのようにこの福音書の証人となりなさい。」というのがヨハネの福音書の教えです。
 「神を信じ、恵みを与えられ、証人となる」これが21世紀初めの年、立派な備えにふさわしいあり方ではないでしょうか。この一年、主イエス・キリストの証人としての生活をしようではありませんか。

(文章化:千葉澄子)

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